きりん屋ストーリー

南の風が吹いて陽光が眩しくなった時、
「カレー屋さん、やろうよ」
と言ったら、Kはいいねと言った。
「前から考えてたイメージがあるの」

町の中心からちょっとはずれた裏通りの小さな店。
一間間口の奥行き5間。
白とブルーと黄色を使ったシンプルで清潔な店。
そこで、摩訶不思議なインドカレーを売るカレー屋さん。どお?

「よし、やろう」 
Kは笑って言った。
でも今すぐは無理ね。お金もないし、丁度いい場所もない。 
まあ、いつか、死ぬまでに出来ればいいな。 
50歳でも、60歳でもいいじゃあない。
長く続かなくてもいいじゃない。一度やってみたいだけ。
でも、そのいつかが、ほんとに突然来ちゃった。
不思議、不思議、摩訶不思議。

麻布十番商店街から少しはずれた裏通り、一間間口の奥行き5間。
絵に描いてたのがそっくりそのままできる。
契約したその日から、厨房機器やら何やら買いに走ったり
内装も自分達で口笛吹きながらペンキを塗ったり、
床を貼ったり、看板を作ったり。
ひと月で店は完成した。 店の名前はきりん屋。
店の形態は持ち帰り専門。
だって、設備費と人件費を節約しなくちゃあならないし。
なにより、回転率を良くする為には持ち帰りがいいでしょ?
そして、いよいよ開店。
売り物の、ナスとひき肉のカレーを弁当箱に詰めてみた。
「ほんとにカレー屋さんになっちゃったね」

そして、夢中で働くうち、20年以上が過ぎていた。
思い返せば、きりん屋は7人の女神に支えられてきた。

ひとり目の女神はシンガポールのスリランカ人、 ミスA。
シンガポールの町中の大きな宝石商の娘、ミスAを訪ねると、 立派な店内を突き抜けて案内された奥の、これまた立派な部屋に大きなデスクを構えて、 小柄なミスAがちょこんと座っていた。
上品で知的で美しいミスAはすくっと立ってにっこり笑うと、 そのまた奥の部屋のドアーを開けて父親を紹介してくれた。
昼食はとても豪勢で、私と友人は目を見張った。
大きな楕円形のテーブルには20,30種類の料理が並んでいる。
頭にターバンを巻いて制服を着たいかめしい給仕が、
次から次へと私達のお皿に料理をとってくれる。
ひと口食べて、
「えーっ、何これ」
「うわあー、めちゃ美味しい」
私達が初めての味に大仰に驚いて美味しがるので、ディシルバ氏は
にこにこ笑って、さあさ、もっともっとあれもこれもと すすめてくれる。 
ミスAはは豆のスープをおちょぼ口で少し食べているだけ。
対照的に私達は3回のおかわりを平然と平らげた。
これが本物のカレー?目からウロコ。 
カレーのイメージが変わった。
この事を誰かに伝えたい。 
そう思ったのがカレー屋の始まりだった訳ね。ミスA,ありがとう。

ふたり目の女神は店を見つけてくれた Dおばあちゃん。
もう死んじゃったけど、お世話になっちゃった。
この場所がなかったら店できなかったのよねえ。
私達、D大明神と呼んで今も手を合わせています、はい。

3人目の女神は私達の住まいの方の大家さん。
部屋は大家さんのお2階。
そこでカレー屋開店と同時にまさかの赤ん坊が生まれた。
おぎゃあおぎゃあと近所迷惑な赤子の泣き声。
その上いつも慌てている私が洗濯機の水を溢れさせる事3回。
いくら謝ったって、もう出て行って頂戴と言うのがフツーでしょ?
なのに仏の大家さんさんの口癖、
「いいわよ、気にしないで」
2年経ったから家賃値上げでしょ?
「まあいいわよ、気にしないで」
いつもそんな言葉で私達の胸を熱くさせた。
東京の人って優しいんだ。 忘れない。

4人目の女神は「暮らしの手帖」社のYさん。
開店間もないある日、菩薩のような目をしたベレー帽の女性がやってきて記事にしたいといってくれた。
温かい文章で6ページにわたって、私達の事が記事になった。
発売日から店には行列ができてコワイほどの大繁盛。
私達は決してYさんの方には足を向けて寝ない。

でもKにはきつかった。
休む時間ゼロのめちゃくちゃ働く毎日。
3,4年して、もう死にそうだった時、様子を見に来てくれたドイツ人の友人、C夫人はKの顔を見るなり、
「何も言わないで。いい事?すぐ休みを取りなさい」
と言ってくれた。
私達はすぐに店を閉め、ヨーロッパアルプスに飛んだ。
Kの心のふる里。
澄んだ空気の中での5週間。 Kは生き返った。
「危なかったね、過労死する所だった」
命を救ってくれたC夫人は5人目の女神だった。

6人目の女神は女性弁護士、T氏。
思いもかけない立ち退き問題が起きて、もうだめかも知れないと思った時、 鉄の女神はシャープな頭脳で難問をパッパッと解決してくれた。
つよーい女神だった。

7人目の女神はなんといっても、きりん屋開店と同時に生まれてきた娘。
めちゃくちゃ忙しくて家に居る時間が3時間のKがある日突然蒸発しても不思議はないと思っていたのに、そうしなかったのは娘の寝顔だったそうだ。
自分は死んでも、この子を路頭に迷わせる事はできないって。

きりん屋を支えてくれた女神は7人だったけれど、お客様は1万人。
作ったカレーは40万食。いつのまにか23周年を迎えた。
Kも私もさすがに老けてきた。
そろそろリタイヤーしようかなって前のHPに書いたら、まだまだきりん屋のカレーが食べたいようというお客様からずいぶんお叱りを受けた。
止めちゃあだめだって。はい、やっぱりもうしばらくがんばります。
これからもよろしくお願いします。


きりん屋トップページへ